神社仏閣・石碑 : 山形グルメ探検隊

山形グルメ探検隊

山形市は知られざるグルメ都市。山形で見つけた美味しいモノ、お薦めのお店をご紹介します! そして、たまには山形の地元ネタも♪

神社仏閣・石碑

金山町の散策と、大和ルージュという発見。

おとといの金山町グルメ探訪。
せっかく金山町まで来たのに、ホントにスーラータンメンだけ食べて帰ってはもったいないので、後追いで金山町の錦鯉でも眺めて帰ることにしました。

大堰

町役場さんの駐車場に車を停めて、歩いてすぐの大堰公園へ。
この堰と錦鯉を見るのもずいぶん久しぶりですよ。

大堰2

あらためて、金山町って凄い努力をしてこの町全体の景観を作ってきたんだろうなぁ~と深く感銘を受けました。行政だけではとても無理だろうし、町民も一緒になって取り組んだ結果ですもんね。
当時の町長さんが凄かったのか、町民全体の意識が高かったのか。・・・または両方?

そして、この堰だけじゃなく水が豊かなところも羨ましい。
家の近所の、山形大学周囲を流れる御殿堰・笹堰なんてほとんど水が枯れてますからね。
梅花藻が咲いていたころが懐かしいです。

金山城跡

公園のすぐ隣には、金山城跡があります。
この小高い山を登っていくと、歴史ある神社もあるみたいなんですが今回はパス。
目の前にある稲荷神社だけお詣りさせていただきました。

稲荷神社

きちんと手入れされている感じがします。
このお社の左手に石碑があったんですが、読んでみると「奉納 御坂」と書いてある。
坂? この参道の階段のこと? それとも、これから山に入っていく坂道を言ってるの?
よくわかりませんでしたが初めて見るタイプの石碑で面白かったです。

八幡神社

城跡の山から少し戻ったところには八幡神社がありました。
隣には池があって、なんとなく清々しい空気感のある神社ですね。
真っ白い鳥居が印象的です。

参道から

社殿に至る直前、参道の右側には小さなお社のような建物と、石碑があります。

さざれ石か?

さざれ石ですね。
山形でもさざれ石を祀っている神社がありますけど、やっぱりさざれ石って神様なんですね。
長い年月を経るとただのモノではなくなって神が宿る。
僕は日本人なので、その考え方にはとてもしっくりくるものがありますね。
僕らは常に八百萬の神様から見られてるんですから、悪いことはできないんです。

金山町でも湯殿山碑。

そして立派な湯殿山碑。金山町にもありましたか。
右側面には施主の名前がはっきりと見えましたが、左側面の年号はなんとなく・・・ 文政と見えました。
しかし、湯殿山信仰ってホント凄く広がってたんですね。

13号沿いで

さて。街なかから車で少し走ったところ、国道13号線沿いでこんな石碑を見つけました。
これも湯殿山か? と思ってよく見たら・・・

並んで立ってます

右の大きなものは秋葉山の碑でしたね。これは久しぶりに見ました。
火伏の神がこんなに大きな石碑を建てるほど信じられていたとは、何か大火事でもあったんですかね?
左手には、毎度おなじみの庚申塔。その左にもいくつか小さい石がありますが、これは文字も何も確認できませんでした。これも石碑なのかな・・・?
庚申塔は、背面に寛政の文字が彫ってありました。右の秋葉山の碑も同じ時代なんですかね?
石の材質も違うし、これは時代も、もしかしたら作られた場所もそもそも違うのかな・・・

でもまぁ、そんなことを考えていてもわからないものは仕方ない。

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山形へと帰る途中、またも新庄のまゆの郷さんに寄って産直野菜を買ってきました。
今回の注目野菜は、この赤紫色をした「大和ルージュ」です!
初めて見たので、気になって買って帰ってきました♪

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レジの女性に食べ方を聞いたら、「モチモチした食感らしいからとうもろこしごはんがいいみたいですよ」って教えていただいたのでやってみました。
まるで赤飯のような色味です!
さすがポリフェノールを豊富に含むというだけあって赤色が強いですね。

食べた感想ですが、正直、買ってきた次の日に炊いたのでちょっと水分が飛んでいたかもしれません。モチモチというよりはサクサクとした歯ごたえのある感じでした。
でもこれはこれで美味しかったですよ♪
茹でたトウモロコシも食感はパリパリとした感じ。食べ応えがありました。

ふと思い立っての金山町遠征でしたが、1日がかりの楽しいドライブになりました♪



お伊勢参りで食べたうどんと諏訪神社の例大祭。

今日のお昼ごはんは、自宅でうどんにしました。

伊勢うどん

ちょっと前に某スーパーで発見して、ずっと食べたい食べたいとねだっていた「伊勢うどん」。
これは普通の味付けだけど、このほかに2つくらい違う味付けの商品も売ってたんですよね。

ずいぶん前に伊勢に旅行で行った時に食べた伊勢うどんのインパクトが凄すぎて・・・
全くコシも歯ごたえもないうどんで、何だこりゃ!? って驚いたんですよ。
でも、その時は「こんなうどんって・・・ 」って思ってたんですけど、意外にも時間がたつとなんだかまた食べてみたくなるもんなんですね~。

これが伊勢うどん

これが思い出の伊勢うどん。
見た感じにもふゆふゆして柔らかそうな感じがしますよね。
これに、同封されていたタレと七味唐辛子を振りかけて・・・

完成!

さらにかつお節とネギを加えて、タレが全体になじむようによーくかき混ぜます。
さぁ、いよいよ実食!

お、美味しいじゃないですか(;゚Д゚)!!

以前食べた印象では、本当に歯がいらないぐらいのやわらかーいうどんだったんですよ。
もう伸びきってしまって、これ以上伸びる余地のないぐらいに伸びたうどん。
それが今回のうどんは確かに柔らかいんですけどちゃんと弾力は残ってるんですよね。
タレもとっても美味しいし。これは買って良かった。美味しかったです!

そんな伊勢うどんの印象が変わったお昼ごはんの後、いつもは夜に散歩をしているのですが、今日はちょっと早めに散歩に出てみました。

例大祭

今日は諏訪神社の例大祭。
南高前まで行ったところで、ちょうどお神輿が休憩を終えて、また渡御を始めるところに行き当たりました。かなりの人数だったのですが、それが信号のところで動き出そうと・・・
なかなか時間がかかるのも当然ですよね。信号が変わるタイミングだったのですが、僕は次の信号を待つことに。信号で待っていたドライバーさんもお気の毒でした(^^;

諏訪神社拝殿

午後だったので参拝者はだいぶ少なめ。
僕らも含めてちらほらといった程度だったので、今日はゆっくりと参拝してきました。
お供えにナスがたくさんあったんですが、よく見ると絵馬もナスの形をしたものがあったり、諏訪神社とナスって何かご縁があったんですね。

ご神木で

木製の竜の彫刻。
前から遠めに見ながらも「何なんだろうな~」と思ってたんですが、これって去年伐採されたご神木を龍神に生まれ変わらせたものだったんですね。
なるほど、そういう残し方もあるか。

あっ、こんなところにも

諏訪神社の境内にある池。
それは前から見て知っていましたが、今回ふと目に留まったのが、池のその奥。
あれっ? なんか石碑があるじゃございませんか?

金毘羅大権現

橋を渡って見てみたら、金毘羅大権現の碑でした。
側面には文政年間の建立であることと、施主となった3人の名前がはっきりと書いてありました。
古くてもこんなにはっきりと文字が読めるように残っているものもあれば、もう石肌が荒れてボロボロになったり白い斑点のような模様が浮き上がって文字が見えにくくなってしまったり・・・ こういう変化は石の材質によるものなんですかね~。

ベトナムのビール

そして今日の晩ごはんは、サンマと里芋、豆ごはん。
秋を感じながら、ちょっと嬉しいことがあったのでビールで乾杯♪
ヨークベニマルさんで見つけた、ベトナム産のビールです。お安かったので買ってみたんですが、味はやっぱり外国産のアジアンビールっていう感じでした。
まぁ、嬉しいときは味はあんまり気にならないもんですからね。

さぁ、明日からまた一週間が始まりますね。よし、頑張ろう。



高畠町から上山市にかけて、石碑探訪の旅。

高畠町で真鯛中華を堪能した後は、近くにあった石碑を見て回ってみました。
たねやさんへと向かう途中、道々に凄い石碑が幾つかあったんですよ。

湯殿山

例えばこれ。
塩結びさんの駐車場があくまで、ちょっと近くを回ってきたときに見つけたものです。
立派な湯殿山碑。
隣の灯籠とはもともとセットだったのかわかりませんが、きちんと保存されてますね。
右側に元号が刻んであるはずなんですが、ちょっと読めませんでした。

これも湯殿山

また別のところの湯殿山碑。
こちらも詳細は不明。左下の部分に何か書いてあったのはわかるんですけど、何が書いてあったのかまでは読めませんでした。
右手の石は、「青面」とあったので青面金剛の石碑ですね。下の部分はコケに覆われていて何も見えませんでした。

さらに湯殿山

ここもまた湯殿山。
高畠町は特に湯殿山信仰が強かったんですかね~。
それに、なかなか石の質感がどれも武骨な感じで独特の雰囲気がありますね。
右下に元号の記載があると思うんですが、ちょっと石の表面が荒れていて読めませんでした。

大宮子安神社 右

高畠町の街なかに入る辺りで見つけた石碑群。
思わず車を停めてみましたが、もしかしたら個人宅へと入る私有地の道路だったかも。
ゴメンナサイ。
一番手前は、斜め後ろからの撮影ですけど巳待塔です。元号は不明。

三基

湯殿山、月山、羽黒山の出羽三山の碑と、百万遍供養塔と、小さなお社。
石碑二つは元号の記載があることはあるんだけどはっきりしない。
百萬遍供養塔は「文化」かなぁ~。

石灯籠ほか

さっきの石碑たちの左隣には、大宮子安神社の参道がありました。
そしてその参道(石段)左手を見ると、石灯籠は「天明」と彫られています。
その奥の庚申塔はおそらく「明和」。そんなに古くも見えないんですけど、意外に古かった。

大社神社

奈良下宿へと向かう道を通って帰ろうと車を走らせていたら、こんな神社を見つけました。
大社神社。
「大社」っていうだけで神社だと思うんだけど、大社神社とは。

大社神社の参道

もっと右側のところに参道の入り口鳥居がありました。
確かに、結構立派な感じですね。参道の両側に並ぶ石灯籠が素晴らしい。

庚申塔と南無阿弥陀仏

参道の右手にはこれらの石碑。
右の庚申塔は元号不明。その左には南無阿弥陀仏の碑。一番下にも何か書いてあるんですが、それがよくわからない。
一番左もまた庚申塔。これも左右に細かい文字が何かあるようなないような・・・

古峯神社と

左手には古峯神社の碑。
これは明治かなぁ・・・ 「治」のところが不鮮明ですけど、おそらく明治か。
右奥の八日講供養塔のほうは、はっきりと「安永」って見えるんですけどね~。

ここにも湯殿山

その隣にはまたしても湯殿山碑。これは安政年間の建立のようです。
その奥の灯籠に、「米澤藩士」なんていう文字が見えてちょっとドキドキ。

実は古い石灯籠

さっきの米澤藩士ゆかりの石灯籠は建立の年代はわからなかったんですが、向かい側の一番手前にあった灯籠には「天明」の文字が見えました。
やっぱり思った以上に古いものだったんですね。もっと新しいものかと思ってました。

大社神社、拝殿

大社神社の拝殿です。
正面の大きな額には「杵春宮」とあります。何だろうと思って調べてみたら、山形県神社庁のホームページに「永禄元年、二井宿村に産まれた次右エ門という者が出雲国杵築宮(現在出雲大社)より観請し大社と称した」とありました。この「杵築宮」と関係があるんですかね。

右奥にもお社が

拝殿の奥にも何か見えたので、さらに入って見てみました。
小さい祠が幾つかと、その中でも特に覆いがかけられて祀られているお社、そして2基の太神宮の碑がありました。
お社の方はどういった神社なのかよくわかりませんでしたが、手前の太神宮碑は嘉永年間、奥の石碑は明治の建立でした。

完全なる逆光

さて。一気に上間の山へと入ります。
ここ、前にも記事に上げてたんですけど、楢下の丹野こんにゃくさんのお向かい辺り。
鳥居から真っすぐ山へと向かう道がちょっと異世界へと通じる道のようで印象的なんですよね。

梵字

一番左の石碑がこれ。梵字が刻まれてますが、何を表しているのかはわからず・・・
梵字は難しい。これは元号が「寛政」とありました。

巳待でしょう

お隣は巳待塔ですね。
「巳」があるので巳待だと推測しましたが、それすらもやっとわかる状態。
石の肌が荒れていて、建立された時代はとても読めませんでした。

読めません

これも何と書いてあるのか全く読めず。
眩しい逆光のせいもあってよく見えなかったのもあるのですが、字が達筆すぎる。
くずし字はなかなか勉強しようとしてもわかりませんね~。

ここでもまた湯殿山

これまた湯殿山碑。
元号はわかりませんが、本当に湯殿山信仰って広く、深く信じられていたんですね。
湯殿山、凄いな!

南無観世音

これ、南無観世音でしょうか?
下の方が「観世音」に見えたので南無観世音かと呼んだんですが、「南」は確かこんな風に書いてた文字があったなという気がしたんですが、「無」は推測です。こんな風に崩すんだろうか?

八日塔と青面金剛

さらに進んで、こんなところに来ました。
左の石碑は八日塔。立派な石碑ですが、建立の年代は読み取れませんでした。
なかなか石が風化して荒れているところが多いですね。石の材質にもよるんですかね。
そして右にあるのは・・・

おそらくは青面金剛かと

石像ですが、これはおそらく青面金剛像ですよね。
なんとなくドングリみたいな頭の形って、青面金剛かと思って見ちゃうんですよ。
でもよく見ると、下の台座付近に猿がいるような気もするんですけど、どうなんでしょう?

蔵王山

道路わきの蔵王山碑。
上山からは蔵王も近いと思うんですけど、意外と蔵王山の碑は少ないですね。
これは文政時代の建立でした。

庚申塔と八日塔

少し細い道へと入っていくと、こんなでっかい石碑がひっそりと建っていたりします。
左は八日塔。背面に元号が彫られていたんですが、微妙なところで判読できず。
読めそうで読めないところが悔しいですね~。
右は庚申待供養塔。「和」という文字があるように見えますが、明和年間でしょうか。
それにしても、こんな立派な石碑が畑の中に突如現れるとは、上山おそるべし。

丁字路の石碑群

先ほどの道を進んだところに、こんな石碑もありました。
おそらくここに集積されたんでしょうが、5つ集められてます。
左から、庚申塔、湯殿山碑、湯殿山三拾三度の碑、子待塔、馬頭塔。
湯殿山三拾三度というのは初めて見ました。

手長神社の石鳥居

道路の丁字路に三角州、中洲のような土地があって、そこに建っていたのがこの石鳥居。
「手長神社」という額がありますが、このだいぶ先にある神社みたいですね。
ずいぶん参道が長いんだなと思いましたが、きっと由緒ある神社なんでしょう。

果樹畑の中に塩竈神社と水神様

車がすれ違えないような細い道をさらに進むと、果樹畑の中にこんな神社がありました。
塩竈神社と水神の碑です。そう書いてあったのでわかりましたが、普通だったらこんな畑の中に水にまつわる神様が祀られているなんて思いもしませんでした。
なぜここにこんな神社があるのか・・・ 不思議。

馬頭観世音と庚申供養塔

そのまた先には、庚申供養塔と馬頭観世音の碑。
どちらも板碑ですが、庚申塔は寛延年間、馬頭観音の碑は文化年間ですね。

ずっと逆光

さらに先に進むと、地蔵堂と3つの石碑。
逆光でここもよく見えなかったんですが、湯殿山碑、馬頭塔、八日塔。
文化、文久の文字が見えましたが、湯殿山碑はよくわかりませんでした。

小さい水神様

最後はここで閉めたいと思います。
上山の某所にある水神様の碑。これも明治時代に祀られたものですかね。
道路わきにさりげなくあるので、見過ごしてしまいそうです。
いつもコメントくださる千ー花さんリスペクトで撮ってきました♪

それにしても、やっぱり上山は石碑の宝庫ですね。
かつては信仰や文化の面でとても盛んな地域だったんじゃないかと思います。
凄いな、上山!



川崎町の旧笹谷街道で石碑探訪!

ドライブインみしまさんのダールラーメンを求めて笹谷峠へと車を走らせていたんですが、新山の峠の茶屋さん、なんと凄いことになってましたね。
ちょうどお昼時ということもあったとは思いますが、車があふれて新山釣り堀さんの側にも数台停車してましたよ。
お店の前にも順番待ちの人が多く並んでいて、しばらく見ないうちにこんな大人気店になっていたんだ、と驚きました!

さて。それはそうと、最近とっても飢えていた石碑巡りです 笑
興味のない方には本当にごめんなさいとしか言いようがない(^^;

以前から川崎町の街なかを通るたびに、あっ、あそこに石碑がある!って見てたんですけど、考えてみたらそれこそここは笹谷街道の道筋ですもんね。
当然石碑はあって当然の場所なんです♪
ということで、みしまさんのダールラーメンをいただいた後に、ちょっと眺めてきましたよ♪

追分け石

東側から県道を街なかに入っていく形で走っていたんですけど、信号からクランク的な曲がり角を通って間もなく、道路左手に石碑がありました。
蔵王大権現の文字の両側に文字があります。「右 もかみ え」、「左 あをね え」。
「え」の文字は推測ですが、どちらにしても追分け石ですよね。
この石碑は文政三年の建立でした。さすがは笹谷街道、最初からいいモノ見られました♪

神明社

そしてほどなく行くと、道路右手に神社があって、その境内にたくさんの石碑を発見!
こちらは川崎神明社。
境内も広く、社殿だけでなく神輿殿や神楽殿、社務所まであって立派な神社です。
その参道の左手に、たくさんの石碑が集積されてましたね。

たくさん集められましたね

こんなにズラリと並んでいるのも珍しいですね。
これだけ集められたのも、きっと笹谷街道沿いにたくさんの石碑が建っていたからにほかなりません。
と、僕は勝手に思うのであります!

一宮ほか

「一宮」というのは、かつての国ごとに最も格式高い神社がそう呼ばれていたもの。
宮城県、陸奥の国では塩竈神社ですね。
一宮碑は文久二年と書いてありました。その左側には、秋葉山、古峯山、湯殿山、その後ろには八雲神社の碑がありますが、これらは意外にも明治、昭和の建立。あれれ・・・ そんな古くもなかったのね。

金剛山ほか

右側の石碑を見ると、金剛山、塩竈大明神、湯殿山大権現と並んでます。
これらは嘉永、慶應、文化といずれも江戸時代の建立。

金毘羅山ほか

さらに右に行くと、馬頭観世音、金毘羅山、馬頭観世音、蔵王大権現、三峯?
小さな馬頭観世音の碑はどちらも明治の物。金毘羅山は文化四年、蔵王大権現は文化二年。
三峯、ではないかと見えるものは土をかぶっていてよくわかりませんでした。

小牛田山神

続いて、山神、二つ続いて南無観世音、そして小牛田山神。
左の山神は「弘化」って見えるんだけど、違うかなぁ・・・
大きい観世音の碑は文久の時代、小牛田山神の碑は文化の建立ですね。
それにしても、小牛田山神ってよく知らなかったんですけど、宮城の遠田郡美里町にある神社のことのようですね。立派な神社のようで、いつかお詣りしてみたいですね~。

山神ふたつ

真ん中に天保時代に建立の馬頭観世音、両側に山神碑が配置されてますが、左は文政時代ですけど、右側の石碑は年代がよく見えませんでした。

雷神も

そして一番右手の奥側です。
雷神、山神、庚申の碑。雷神が天保時代で、あとは文化の時代に建立された物でした。
こちらの神社にある石碑は、比較的元号の彫刻が鮮やかに残っていて読みやすかったですね。

拝殿と

拝殿も立派ですよ。
参道やまわりの砂利のところも綺麗にしてあって、荘厳さを感じさせますね。
すぐお隣に宮司さんがお住まいのようでしたが、きっと入念に手入れなさってるんでしょうね。

古いお社

拝殿の右手に、摂社か末社が祀られてました。
さらにその奥にはまた小さなお社がいくつも並べられてましたね。
中央が諏訪神社、右は八幡神社。左のお社はよくわかりませんでした・・・

お向かいにも

神明社を後にして、と言ってもすぐその目の前にまた石碑があったんですよ。
ホントお向かいの道路わきです。

読めません

一番目についた大きな石碑は、表面が風化したのか削られたのか、すでに文字が識別できない状態でした。
一番下に「山」とあるのですが、上の二文字がよくわかりません。
うーん・・・ 象頭山、とか!?

無造作に

この大きな石碑の左手には、小さな石碑がいくつも並んでいました。
しかしどれも草に隠れてよく見えない状態なんですよね・・・

ここにも小牛田山神

ここにも小牛田山神の石碑がありました。
このあたりでは山神様が深く信仰されていたのかもしれませんね。
右の石碑は梵字が刻まれていて、「寛永」の文字のように見えました。

地蔵桜

そこからまた少し車を走らせた途端に、また気になるお堂を発見。
あわてて車を停めて、お堂にお参りに入ろうとすると、近くの年配のお父さん方が僕を遠巻きに注視している。
そうだよなぁ~、こんな途中途中に車を停めていろいろ写真撮ってるんだもの、地元の方から見たら完全な不審者だよな・・・
でも僕はめげませんよ!

桜と地蔵

享保時代に建立された延命地蔵の石像を桜の木の下に祀ったことから、この桜の木は「地蔵桜」と呼ばれているらしいです。
この延命地蔵尊は子育て、長寿の守り神として信仰されているようですが、それより先に生えていたこの桜は樹齢約390年とか。凄いですね!

南無地蔵尊

この地蔵桜のすぐそばにはこの2つの石碑もありました。
左手は南無地蔵尊。これは享和年間の建立。右手の石碑は、南無妙法蓮華経二千・・・ まで見えました。
造られた年代までは読めませんでしたね。
車を出してから、お堂の陰にもまた石碑があるのに気づいたのですが、それはもう諦めました。
また戻って見てたらそれこそ不審者で通報されちゃいますもんね 笑

残念

それにしても、こうして川崎町の一部でしたが立ち止まって色々見せていただくと、いいところがたくさんあるな~と思いましたね。
この用水もまわりの草をもうちょっと管理して綺麗にしたら、もっと素敵なスポットになるような気もするんですが、もったいない気がしますね~。
川崎町、なんだかちょっと気になってきました♪



暑かった日の東京散歩。

先日の東京出張。
ほんとは日帰りできたんですが、せっかくの機会なので自主的に一泊してきました。
そしてその翌日。何をしようか迷いましたが、たまには東京の寺社仏閣めぐりをしてみようかと思い立ち出かけてみました。

素泊まりの宿泊だったので、朝はそば千さんで朝食。
そこからは今まで行ったことがなかった神田明神へと行ってみることにしました。
地元の方はシェアサイクルなんかを使うのかもしれませんが、僕はそこまでのスキルがないので地道に徒歩。しかしやっぱり暑かった・・・

凄い行列。

秋葉原駅近くを歩いていると、とんでもない人の行列。
僕の勝手な印象だけど、秋葉原は推し活のエネルギーがとても強い方々が集まる街。
この行列もそんな人たちの集団なんだろうか?

こっちも凄い

1ブロック歩いた先でもまたこれ。
さっきほどではないにしても、やっぱり秋葉原ではこのぐらいは普通なのかもしれないですね。
めちゃくちゃ暑い中なのに・・・ 秋葉原、おそるべし。

神田神社の鳥居

額から落ちる汗をぬぐいつつ、やっと目的地へと到着。
神田神社の鳥居です。
東京って、近代的でごちゃごちゃした街の中に突然こうした静寂のエリアが現れるんですよね。
なんか異空間って感じがします。

神田神社の山門

この山門も立派ですよね~。随神門。
神田神社と言ったら神田明神。「神田明神下の平次ってもんだ。」の言葉しか知らなかったところです。
こんなに立派な神社だったんですね。

こちらが拝殿

境内も結構広くて立派です。
ところどころ修復か何かをされているようでしたが、きちんと修繕もされていていいですね。

ちょうど排水溝の手入れをなさっている職人さんがいたんですが、そこに地元の方が飲み物を差し入れされてたんですよね。その方々の会話を聞いていたら、なんとなく雰囲気的に「江戸っ子ことば」を思わせる感じなんですよ。なんとも江戸の粋でいなせな感じがする会話に、ちょっと感動しましたね。

力石

さて、境内を眺めていたら、僕の大好きな石がありましたよ♪
これはいわゆる「力石」。江戸時代の力持ちがこの石を持ち上げて力比べをしたというものです。
右に名前がある、柴田四郎左衛門という人がチャンピオンだったみたいですね。
刻まれた文字がはっきりしていたので新しいかと思ったら、文政5年ですって。

石獅子

こちらも境内にあった石獅子の像。
下には子獅子がいて、崖から突き落とした子を上から見下ろす2頭の獅子、といった構図です。
この石山と子獅子は平成元年に復元された物らしいですが、この2頭の石獅子は享保年間に作られたものがそのまま残されているんだそうです。凄い!
他にもいろいろと江戸時代のものが残っているのを見てきましたが、すべて書き出していたら大変なことになってしまうので割愛。

参拝が済んだら、さて次です!

湯島聖堂の入徳門

神田神社から南へちょっと移動して、今度は湯島聖堂へとやって来ました。
ここって名前は聞いたことがあるんですけど、正直何なのかよくわからなかったんですよね。

徳川五代将軍の綱吉が、儒学振興のため上野忍ヶ岡にあった林羅山邸内の孔子廟を移し、「大成殿」と称したのが始まり、とのこと。
でも関東大震災でほとんどの史跡が焼けてしまって、当時から残っているのはこの入徳門くらいなんだとか。

この門をくぐって

階段を登った先には、杏壇門。
杏壇門というのは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のことらしい。
現地にある門を模して造られたんですかね?

大成殿

さあ、これがいよいよ湯島聖堂の中心となる、大成殿です。
「大成」は、孔子廟の正殿の名称なんだそう。綱吉公がここに大成殿を置いた時から、この大成殿と付属する建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになったんだとか。

これは珍しい

屋根の上には、鯱の代わりに何か違うものがいますね。これは何だろう?
それと、軒に近い所には猫のようなものも・・・
こっちの像は「鬼龍子」というんだそうです。狛犬のようで、猫のようで。牙をむき、腹には鱗があり、蛇腹・龍腹となっているんだそうです。
これは初めて見たかもしれません。儒教の建物ではこうした像が見られるんですかね?

開いた

あっ、扉が開きました。
土日は10時から、内部の観覧もできると書いてあったんですよ。
観覧のためには200円が必要ですが、ほかに比べたら安い方ですよね。

内部

中はこんな感じです。
中央には香炉のようなものや食事をする際のお膳のようなものも飾られていましたが、これが何なのかは正直よくわかりませんでした。
昔はこんな食事をしていました、って単純な展示ではないでしょうし・・・ わからん。

中央の厨子には孔子像があると。

ご本尊?

これがその厨子ですが、3体の像がありますけど・・・ 一応は中心のものですかね?
それとも、どの像もみんな一緒?
そしてこの部屋の四隅には、四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人が祀られていました。

仏教と違って、儒教はなかなか馴染みがないので難解ですね。
もっと勉強しないと理解できない気がします。博識なオッサンになるのも大変だ。

名所らしい

御茶ノ水駅のところ。撮り鉄の方々でにぎわってました。

湯島聖堂から、次はどうしようかと迷ったのですが、とりあえずお昼ごはんにして、そこで次の作戦を立てようと。どちらかというと攻めというよりは逃げの作戦ですが、準備不足は否めません。
だって、こんなに暑くなるとは思わなかったんですよ。

お昼ご飯は、前日に食べたクロアチア料理がとても良かったので、同じく食べたことがない料理を食べてみたいと、わざわざ電車に乗って移動しました。
移動の途中で、ふと腕時計のベルトが傷んでいたことを思い出し、新宿で下車。
ベルト交換してもらっている間に食後の行程を検討します。

Geminiに聞いてみたら、東京駅に近いところでお薦めなのは増上寺だと。
そういえば僕はまだ行ったことがないんですよね。東京タワーと一緒に見られる、あそこですよね。
ほうほう、三解脱門というのが文化財に指定されていると。
よし、行ってみよう!

マジ?

改修工事中じゃないですか・・・ 泣
もうこの姿を見た時点で7割方の力が抜けちゃいましたね。
Gemini頼りで、さらにちゃんと自分でチェックしなかったのが悪い。甘かったなー。

増上寺

でもせっかくなので、定番の東京タワーとのショットを狙う。
でもどんな構図が正解なのか、よくわかりませんね。難しいですね~。

タワー

東京タワーというよりも、手前の灯籠が気になる。
何か文字が見えたので、写真に撮ってよく見てみたら、「文昭院殿 正徳二年」とありました。
正徳年間って、享保年間の前の時代ですよね。その当時からずっとその姿を残し続けてるって・・・
やっぱりさすがは東京、江戸時代からずっと歴史と文化が残ってるんですね。素晴らしい!

さぁ、帰ろう。

もうほんとに汗だくになって気持ち悪かったんですが、あとはビール飲みながら帰ります!
暑かったけど、大満足の出張でした。
もちろん出張の仕事自体はしっかりやりましたけど、その後の行程も良かったです。
ゴハン、宿舎、そして江戸の文化を感じる散策。良かったです♪

出張に際していろいろ教えてくれた後輩くんたちには、本当に感謝。



尾花沢に出かけたついでの石碑探訪。

一昨日はお昼ごはんに蕎麦が食べたくなり、尾花沢まで行ってきました♪
その帰り道、横目にふと赤いものが見えたんですよ。

神社だ!

あっ、神社だ。石碑もある!
こうなったら素通りするわけにはいきませんよね。なんてったって大好物ですから 笑

五所神社。

こちらは御所神社。
近くに確か御所山ってありますもんね。そこから来てる御所神社なんでしょう、と勝手に推測。
でもきちんとキレイに管理してある神社ですね。

好物。

さぁ、その左手に並んで配置されているのがこれらの石碑たち。
一番手前の石碑はすでに表面が風化したのか荒れてしまったのか、もはや文字どころかどちらが正面なのかもわからないぐらいの感じでした。
次は庚申塔。その奥もだいぶ荒れていましたが、おそらく庚申供養塔と書いてあるんじゃないかと思います。

何の供養塔?

一番奥が、こちらの石碑。
下の「供養塔」は明らかなんですけど、その上はちょっと字が違うけど「禮」。
その上は・・・ もしかしたら「西国順礼」供養塔、とか?
推測ではよくないですね。よくわかりません・・・

巨大な湯殿山

神社境内の社殿からちょっと離れたところに、とても大きな湯殿山碑がありました。
これはなかなかの迫力ですよ。
右側面には文化九年という年号が記されていました。
やっぱり山形の石碑って文化・文政のころの建立がとても多い気がしますね。

角地に

御所神社を後にして、しばらく走ったところの道路角にこんな石碑がありました。
さっそく近くに車を停めて観察したのですが、この湯殿山碑も「文化」と見えます。
それより、気になるのは右手の石碑。

詳細不明

ここまでくると、もう何もわかりません・・・
こんなに表面が荒れてしまうと、文字も全く見えませんね。残念。
地元には何か資料が残されていることを願います。

六沢大根

今の石碑の隣には、こんな大根の直売所。
このあたりは「六沢大根」という特産物の産地なのですが、石碑を見ていたらちょうどきれいに洗われた大根が新たに補充されたところだったんですよね。
50円なら安い!とさっそく見に行ってみたんですが、かごに入ったものは100円。隣に直置きされている大根が50円でした。
50円で買うつもり満々だったのですが、隣の立派な大根を見てしまったら、やっぱり立派な方がほしくなりますよね~。
ということで、つい100円の太い大根を2本も買ってきてしまいました。
昨日のシュークリームと言い、最近衝動買いが多いな。気をつけなくちゃ。



六十里越街道、再考。ここは別の街道か?

一昨日、思い立ってあるエリアを歩いてみました。
以前、旧 六十里越街道を歩いてみようと、かつての下条口と思われるところから北に向かって歩き出したのですが、今回はその近くのエリアです。
前回とは違って、肴町口のところから山七小の北側、旧三之丸のお堀沿いに西に進んで、途中から下条五差路に向かう昔ながらの道と思われる道路。
もしかしたら、ここが昔の街道なんじゃないかと思うところもあって、ぜひ歩いてみたいと思ったんですよ。でも暑かったので身近い区間だけですが(^^;

ところが、さっそくスタートからやらかしてた。
いま言ったとおりに歩けば、「御組の庚申様」という石碑が見られたはずなのに、それを知らずにまぁ適当にスタートしてもいいだろうと思って歩き始めたのが失敗でした(>_<)

御組の庚申様はまた今度見に行ってみることにして・・・

延命地蔵大菩薩

最初に目にしたのは、こちらの延命地蔵大菩薩。
紀元二千六百年記念と書かれた石碑に目が留まったんですよね。
奥にそのお堂があってお地蔵さまが祀られていましたが、その手前に見える石碑は「百万遍供養塔」。
側面にはうっすらと「寛政」の元号が見えました。

弘法大師と

そこから少し西に進むと、こちらの弘法大師の像が現れました。
GoogleMapで見ると「清浄院」さんとなってますね。
この左手にお堂があったのですが、ちょっと一般的なお寺とは違う雰囲気でしたね。

光明真言塔

上の写真では見えていなかったところに、こんな石碑がありました。
梵字曼荼羅に、光明真言塔とあります。
これカッコイイですね~。文字もはっきり見えてますが・・・ なんと、右側に「宝暦」と見えます!
宝暦年間は1751年から1764年まで。けっこう古い石碑だったんですね。驚きました。

個人宅に湯殿山碑

さらに進むと、個人宅にこんな石碑が。
湯殿山と水神様の石碑。敷地内にこうして昔からある石碑をお祀りするっていうこと自体、この地域では歴史や石仏・石碑の文化が守られているということの証ですよね。

傳昌寺

だいぶ進んできました。こちらは傳昌寺さん。
その門前に、観音様が祀られているお堂がありました。扉が閉まっていたので中は見えませんが、どんな観音様だったのか気になりますね。

探していた石碑

これ!
実は、今回この道を歩いてみようと思ったきっかけになったのがこの石碑なんです。
同じ会社の方がこの石碑の写真をSNSに上げていて、めちゃくちゃ気になってたんですよ。
やっと見つけることができました♪
右に太神宮、真ん中に湯殿山大権現、そして左には庚申塔と並んでいます。
文字が薄れていますが、おそらく太神宮は文化年間。湯殿山碑は安永とはっきり見えますね。
左の庚申塔は「元文」と見えます。享保の次の元号ですよ。1736年から1741年。古いですね!

ここにも

次に見つけたのがこの石碑。
またしても湯殿山大権現の碑です。道路わきに隠れていたので、危うく見逃しそうでしたよ。

こんなところにも

だってこんなですよ!?
あまりにもこの景色に溶け込んでませんか 笑
そんなカメレオンのような石碑ですが、実は建立は「明和六年」。1756年のものでした。
そんな歴史のあるものがこんな道端にあるなんて・・・

でも驚きはここまで。この先はもうほどなくして下条五差路というところなので、交差点のセブンイレブンさんで飲み物を買って、あとはまたゆっくりと戻ってきました。

山形五堰、再び。

そのまま同じ道を帰ってもつまらないので、途中から横道に逸れてみました。
そしたら、この山形五堰。前に自転車で見に来たところですよ。
そのときはとてもきれいに管理されてたんですが、ずいぶん草が茂っちゃいましたね・・・

珍しい!

でもそのおかげで、こんな珍しいトンボを見ることができました。
シオカラトンボ・・・ ですよね?
最近すっかり見ることも少なくなったので、名前も自信がなくなってました。

金毘羅さん

その先で見つけたのが、この金毘羅碑。
横を見ると、大保四年・・・ !? どう見てもそう見えたのですが、きっと天保四年ですね。
ちゃんとお花も供えてあって、ちゃんと今でも祀られているのがわかります。

龍門寺

そして、実は前から気になっていたのがこちらの龍門寺さん。
山門から境内を見ると、松並木が続いてるんですよ。
とても荘厳な雰囲気。どんな立派なお寺さんなんだろうと、前から気になっていたのでした。

ここは?

参道を進んでいくと、途中の右手にこんなお堂が。
これは何のお堂なんでしょう?
観音様でしょうか。お堂の額には、先ほどの傳昌寺さんの前にあった観音堂と同じ字が書いてあったのですが、僕には何と書いてあるのか読めませんでした。くそぅ・・・

庚申供養塔

こちらのお堂が建つ場所は、ここだけで一つの境内のように区切られていたのですが、その場所に入ってまず左手にあったのがこちらの庚申供養塔。
彫られた文字はまだちゃんと読める状態ですが、享保年間のものですね。

南無多宝如来

南無多寶如来と書いてありますが、違う面には、おそらく「大界教主釋迦牟尼佛」。
四面にそれぞれ違う仏様の名が彫られているんでしょうか。
この境内はあまり自由に立ち入れない感じだったので、参道部分からズームで撮影。
そのため細かい文字はよくわかりませんでした。

法華供養塔

こちらは右手にある法華供養塔。
ぐるりと周囲を見ることができなかったので、建立の年代もわからなかったのですが、この形はなかなか重厚感があって素晴らしいですね。好きなタイプです♪

大乗妙典千部

これも右手の手前側にあった石碑。
完全には読めませんでしたけど、「奉〇大乗妙典千部爲二親也」って見えるんですよ。
もしかして・・・ 両親のために法華経千部読みましたよ、って意味!?

名刹

疑問は尽きませんが、龍門寺さん、本当に立派なお寺さんですね。
こんな立派なお寺があっただなんて、今まで全然知りませんでした。

蔵経羅漢閣

本堂の左手には、またこんな立派な「蔵経羅漢閣」が。
当然ながら中は見られないけど、きっとすごいものが入ってるんだろうな。

稲荷神社。

さらに歩いていたら、こんな神社を見つけました。
村社稲荷神社。よくある「○○稲荷」っていうような名前は見つけられませんでした。
ただ、参道を進むと、左手に「伏見稲荷神社分霊百年記念碑」っていうものがありましたね。
元市長、金澤忠雄氏の書。

扉は金属?

こちらが本堂。なかなか独特な趣のあるお堂ですね。
外壁というか、扉、引き戸がトタンか何か、金属製なんですかね。錆びてますよ。

石碑たち。

お堂の前には、こんなに石碑がありましたよ。
一番右が湯殿山。その左は「船山先生之碑」という新しいもの。その左は・・・
後で写真でよく確認しよう、と思ってよく見てこなかったら、写真ではよく読み取れないという嘆かわしい結果となりました。

十八夜待

90度曲がって、その左にはお地蔵様の絵が描かれた石碑と、蔵王山碑。
そして一番左に、この十八夜待供養塔です。
この十八夜待供養塔は、享保の次、元文年間の建立でした。
ほかは文化、文政、安政の時代でしたね。

ココにも湯殿山。

どんどん南に向かって歩いていると、またこんな石碑に出合いました。
ここって別に街道でもないはずなんですけど、なんでこんなに石碑が多いんだろう?
ほんと今まで気づかなかったのが悔しいくらいですね。こちらも文政年間の作でした。

荒澤地蔵大権現

道路の路側帯部分になぜか立っているこの石柱。
荒澤地蔵大権現。
お地蔵様なのに、大権現? 仏様の世界はいまだによくわかりませんね・・・
とりあえずここが参道で、この先にお堂があるっぽいので行ってみます!

こちらがお堂。

さっきの参道をまっすぐ進むと、階段を下りてこちらのお堂にたどり着きました。
お堂・・・ ですよね?
額もかけてなかったので、ちょっと違和感がありましたが、間違いなさそうです。

裏に隠れた石碑

お堂の裏には、こんな石碑たちが隠れていました。
左から、南無阿弥陀佛の碑、文化年間。その右の小さいものは、石の表面がザラザラに荒れてきていて上部に梵字が彫られているほかは細かい文字が全然読み解けませんでした。年代も不明。

阿弥陀仏。

その右にあるのがこちら。これも南無阿弥陀佛の碑ですが、年代は「延享」と読めます!
これも意外に古い石碑ですね。
延享時代に建立の石碑って初めて出合ったかも。ちょっと感動。

その右にあったのは「弥陀経千部塔」。これは建立の元号がよくわかりませんでした。

個人宅の庭先にて

さぁ、いよいよ七小付近に戻る感じかな~なんて思ってたら、また道路沿いながらも個人の敷地内にこんな石碑を発見。
蔵王山の石碑ですが、これももともとこのお宅の敷地にあったものではないはず。
ご自宅に設置して、お祀りというかちゃんと管理なさっている方には頭が下がりますね。
地域の文化を守ってくださっている方ですから、感謝しなくては、と思うのですよ。
本当にありがとうございます。

そして、道路拡幅やらで移動しなくてはならないなどなったとき、ぜひ安易に廃棄などしないでいただきたいと本気で願っております。
どうか、ひとつ。



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トウヒ

山形市在住の50代オトコです。
美味しいモノを食べるのが日々の小さなシアワセ♪
山形は美味しい物を安く食べられるのが当たり前。
そんな山形市から、日々の幸せをおすそ分けいたします(笑)

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