今日、早くも子供が最終の新幹線で東京に帰っていきました。
少しでもこっちにいてほしい気持ちはあるけれど、アパートに着いたら1:00過ぎだぞ?
それはソレで心配です・・・
さてさて。またしてもマニアックなネタですみません(^^;
お正月明け、ふと気になってこちらに立ち寄ってみました。

市内北部、千手堂地区にある守國山 吉祥院さん。
だいぶ昔とはいえ、一時期は仕事で出羽地区にお世話になっていたので知らないわけではないのですが、当時は今のような興味もなかったのでよく知らずにいたんですよね。
今回、本当に久しぶりにお邪魔させていただきました。

さっきの写真は駐車場からの眺めで、実際にはこちら南側からの参道を通ってお参りします。
敷地内、境内はこのように石畳の参道になってますが、後ろを振り返ると、きっとこの道路がそのまま昔は参道として機能していたんだろうなという感じがしますね。

参道を進むと、すぐ右手にこのお地蔵さまが現れました。
向かって右側面には「明和」と元号が彫ってあります。いきなり江戸時代の石仏がお出迎えとは・・・
そんなに古いものとは思わなかったんですが、さすが吉祥院さんですね!

さらに参道を進んで、右手のお堂にいらっしゃるのがこちらのお地蔵さま。
太郎吉地蔵と仰るんですね。
左側にある額に「正直太郎吉地蔵尊」と書いてあったんですが、どんないわれがあるんでしょう?

その太郎吉地蔵尊のお堂に向かう途中にも、こんなお地蔵さまが並んでいます。
お姿がだいぶ摩耗してきているように見えるんですが、風化してきたとすればこれもかなりの歴史がある石仏なんでしょうか。

こちらが本堂。昭和46年に復元されたものということでしたが、その際は室町時代の山形城主、最上義守公が再建したときの建築様式に従って改修されたんだそうです。
五色幕が掛けられているこの姿は、以前からの僕のイメージどおり。

お堂の内部も室町時代の様子を再現してあるんですかね。
この天井画や奉納された絵馬などを見ていても、厳かな雰囲気があって感動的。
御本尊は、ここではなく奥の院(宮殿)に安置されている千手観音と脇立の薬師如来、阿弥陀如来と合わせた「三尊」とのこと。
このうち千手観音の立像は、なんと国宝に指定されているんですよ。凄い!
本堂から右手のほうを見ると・・・

千手稲荷大明神。
お稲荷様は本当にいろんなところで祀られてますけど、気になるのはその名前。
ここは「千手」稲荷ですけど、こういう名前って誰がつけるんでしょうね?
「豊川稲荷」とかは由緒がはっきりしていそうですけど、こちらはきっとこの場所で名前が付けられたんだと思うんですけど、何かルールってあるのかしら?

千手稲荷大明神のお社の向かいには、こちらの鳥居とお社がありました。
何のお社なんだろうと思って見てたんですが、ヒントになるようなものは見つけられませんでした。

お堂を挟んで反対側、左手の方には池があって、そこに島のようになっているところがあります。
そこにもちょっとした見どころが。

「順禮入門 発大清浄願 百八煩悩石踏」
ここからスタートして、巡礼のようにずっと石を踏みながらこの先の島を回ると、巡礼が終わったのと同様に対岸が成就するという・・・ ことなんだと思います(^^;
要所要所に「鈴」が下げてあって、それを鳴らしながら回るんですね。

千手観世音菩薩の梵字が彫られた碑。

その先には庚申供養塔もあります。

延命地蔵尊と、右側のものがよくわからないんですよ。
「昔ノ大門一部」。それってどういうものなんでしょう?
ここを回りきると結願ということになるのですが、ここからまた隣の「島」へと橋を渡って移動するんですよね。
そこはそこで、また周囲を一周することになります。

渡ってすぐのところにあったのが、こちらの地蔵菩薩さま。
ここからぐるりと回ります。

右へ進むと大黒天の梵字が書かれた碑がありました。
その奥には大聖不動明王の姿が描かれた碑があったのですが、あまりにも陰影が薄くて写真ではよくわからず・・・ 素晴らしいお姿だったのに、残念!

左は弁財天の碑。上部から下まで字が彫られているのですが、それはちょっとよくわからず。
部屋のようにくり抜かれたところには、上には弁財天の像なのかな・・・
下のほうには大黒様の像が置かれてました。弁財天と大黒天、やっぱり関係が深いんですかね。
ちなみに、右の石碑には文殊菩薩を表す梵字が刻まれてます。

この板碑には、阿弥陀如来に薬師如来、そして千手観世音菩薩という吉祥院さんの御本尊が梵字で刻まれていますね。

終わってここに出てきてみたら、どうやらここから入っていくべきだったのかもしれません。
さっきの御本尊の梵字を彫った石碑が正面だったんですね。

隣の説明版を見ると・・・
奈良時代、この場所に七堂伽藍が建てられたそうなのですが、いつしか千手観音堂だけになってしまったと。聖武天皇勅願1250年を迎えるにあたり、蓮池の中央にかつて保存されていた「七宝抜苦 福徳息災 延命曼陀羅塔」を復元建立したのだそうです。
これ見てから回ればよかったな~。

蓮池から駐車場のほうに来ると、壊れた鳥居が残されていました。

そしてその隣には「石棺」!?
どっかから移設・復元されたものなんでしょうか?
しかし石棺まであるとはすごいですね。

大きな板碑がいくつもあるっていうのも驚きでした。
このタイプって・・・ 天童市の清池にある板碑に似た感じですよね。
梵字なのか、何と書いてあるのかはよくわかりませんでしたが・・・
ほかにも湯殿山の石碑などいろいろあってとても興味深かったです。
かつてここを見に来た時には、こんなに興味は湧かなかったな~。
やっぱり年をとって興味を持つ対象が変わってきたということか。
子供のころは山菜の美味しさがわからなかったというのと同じだな、これは。
少しでもこっちにいてほしい気持ちはあるけれど、アパートに着いたら1:00過ぎだぞ?
それはソレで心配です・・・
さてさて。またしてもマニアックなネタですみません(^^;
お正月明け、ふと気になってこちらに立ち寄ってみました。

市内北部、千手堂地区にある守國山 吉祥院さん。
だいぶ昔とはいえ、一時期は仕事で出羽地区にお世話になっていたので知らないわけではないのですが、当時は今のような興味もなかったのでよく知らずにいたんですよね。
今回、本当に久しぶりにお邪魔させていただきました。

さっきの写真は駐車場からの眺めで、実際にはこちら南側からの参道を通ってお参りします。
敷地内、境内はこのように石畳の参道になってますが、後ろを振り返ると、きっとこの道路がそのまま昔は参道として機能していたんだろうなという感じがしますね。

参道を進むと、すぐ右手にこのお地蔵さまが現れました。
向かって右側面には「明和」と元号が彫ってあります。いきなり江戸時代の石仏がお出迎えとは・・・
そんなに古いものとは思わなかったんですが、さすが吉祥院さんですね!

さらに参道を進んで、右手のお堂にいらっしゃるのがこちらのお地蔵さま。
太郎吉地蔵と仰るんですね。
左側にある額に「正直太郎吉地蔵尊」と書いてあったんですが、どんないわれがあるんでしょう?

その太郎吉地蔵尊のお堂に向かう途中にも、こんなお地蔵さまが並んでいます。
お姿がだいぶ摩耗してきているように見えるんですが、風化してきたとすればこれもかなりの歴史がある石仏なんでしょうか。

こちらが本堂。昭和46年に復元されたものということでしたが、その際は室町時代の山形城主、最上義守公が再建したときの建築様式に従って改修されたんだそうです。
五色幕が掛けられているこの姿は、以前からの僕のイメージどおり。

お堂の内部も室町時代の様子を再現してあるんですかね。
この天井画や奉納された絵馬などを見ていても、厳かな雰囲気があって感動的。
御本尊は、ここではなく奥の院(宮殿)に安置されている千手観音と脇立の薬師如来、阿弥陀如来と合わせた「三尊」とのこと。
このうち千手観音の立像は、なんと国宝に指定されているんですよ。凄い!
本堂から右手のほうを見ると・・・

千手稲荷大明神。
お稲荷様は本当にいろんなところで祀られてますけど、気になるのはその名前。
ここは「千手」稲荷ですけど、こういう名前って誰がつけるんでしょうね?
「豊川稲荷」とかは由緒がはっきりしていそうですけど、こちらはきっとこの場所で名前が付けられたんだと思うんですけど、何かルールってあるのかしら?

千手稲荷大明神のお社の向かいには、こちらの鳥居とお社がありました。
何のお社なんだろうと思って見てたんですが、ヒントになるようなものは見つけられませんでした。

お堂を挟んで反対側、左手の方には池があって、そこに島のようになっているところがあります。
そこにもちょっとした見どころが。

「順禮入門 発大清浄願 百八煩悩石踏」
ここからスタートして、巡礼のようにずっと石を踏みながらこの先の島を回ると、巡礼が終わったのと同様に対岸が成就するという・・・ ことなんだと思います(^^;
要所要所に「鈴」が下げてあって、それを鳴らしながら回るんですね。

千手観世音菩薩の梵字が彫られた碑。

その先には庚申供養塔もあります。

延命地蔵尊と、右側のものがよくわからないんですよ。
「昔ノ大門一部」。それってどういうものなんでしょう?
ここを回りきると結願ということになるのですが、ここからまた隣の「島」へと橋を渡って移動するんですよね。
そこはそこで、また周囲を一周することになります。

渡ってすぐのところにあったのが、こちらの地蔵菩薩さま。
ここからぐるりと回ります。

右へ進むと大黒天の梵字が書かれた碑がありました。
その奥には大聖不動明王の姿が描かれた碑があったのですが、あまりにも陰影が薄くて写真ではよくわからず・・・ 素晴らしいお姿だったのに、残念!

左は弁財天の碑。上部から下まで字が彫られているのですが、それはちょっとよくわからず。
部屋のようにくり抜かれたところには、上には弁財天の像なのかな・・・
下のほうには大黒様の像が置かれてました。弁財天と大黒天、やっぱり関係が深いんですかね。
ちなみに、右の石碑には文殊菩薩を表す梵字が刻まれてます。

この板碑には、阿弥陀如来に薬師如来、そして千手観世音菩薩という吉祥院さんの御本尊が梵字で刻まれていますね。

終わってここに出てきてみたら、どうやらここから入っていくべきだったのかもしれません。
さっきの御本尊の梵字を彫った石碑が正面だったんですね。

隣の説明版を見ると・・・
奈良時代、この場所に七堂伽藍が建てられたそうなのですが、いつしか千手観音堂だけになってしまったと。聖武天皇勅願1250年を迎えるにあたり、蓮池の中央にかつて保存されていた「七宝抜苦 福徳息災 延命曼陀羅塔」を復元建立したのだそうです。
これ見てから回ればよかったな~。

蓮池から駐車場のほうに来ると、壊れた鳥居が残されていました。

そしてその隣には「石棺」!?
どっかから移設・復元されたものなんでしょうか?
しかし石棺まであるとはすごいですね。

大きな板碑がいくつもあるっていうのも驚きでした。
このタイプって・・・ 天童市の清池にある板碑に似た感じですよね。
梵字なのか、何と書いてあるのかはよくわかりませんでしたが・・・
ほかにも湯殿山の石碑などいろいろあってとても興味深かったです。
かつてここを見に来た時には、こんなに興味は湧かなかったな~。
やっぱり年をとって興味を持つ対象が変わってきたということか。
子供のころは山菜の美味しさがわからなかったというのと同じだな、これは。








